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中村夏子+中村未来インタビュー

 今回の新作について、藤田君は「『ロミジュリ』をやっていくうちに徐々に「やらなきゃな」って気持ちになってきた」と語っていた。『sheep sleep sharp』には、『ロミオとジュリエット』に出演した23人のうち、青柳いづみさん、中村夏子さん、中村未来さん、尾野島慎太朗さん、中島広隆さん、船津健太さんが出演する。今回は中村夏子さんと中村未来さんに話を聞きつつ、『ロミオとジュリエット』という作品を振り返る。

 前回、“ひび”のワークショップのあとに話を聞いた中村夏子さんに、改めて話を聞く。彼女が『ロミオとジュリエット』のオーディションに申し込もうと決めたのは、“ひび”の活動が始まってすぐ、青柳いづみさんの話を聞いてからだと前回のインタビューで語っていた。

 

「本当にもう、締め切りの最終日に出したと思います。それまでは『いつか出れるんだとしたら出てみたい』と思ってたんですけど、全然足りないと思ってたから応募してなかったんです。でも、トライしないのは意味がわかんないなと思うようになって、それで応募したんです」

 

 夏子さんは無事オーディションに合格し、乳母というキャラクターを演じることになる。その配役を知ったのは稽古初日、台本の読み合わせを行なったときのこと(ちなみに、藤田君の作品で稽古初日に台本の読み合わせが行われるというのは初めてのことだ)。乳母が語る台詞には、こんな印象的な言葉がある。

2016年「ロミオとジュリエット」撮影:石川純

「収穫祭の晩がくれば、お嬢様は十四歳。ええ、そうですとも。よおく憶えております。あの大地震からもう十一年。忘れもしません。一年三百六十五日のうち、あの日に乳ばなれなさった。私は乳首にニガヨモギの汁を塗って、鳩小屋の壁ぎわで日向ぼっこをしておりました。旦那様と奥様と、マントヴァへお出かけで、お留守。ええ、ちゃんと憶えております。今申しましたとおり、お嬢様は乳首のニガヨモギをお嘗めになると、苦かったんでしょうねえ、かわいかったこと、むずがって、私のおっぱいにくってかかった。そのとき、鳩小屋がガタガタっときた! もう、クビだと言われるまでもなく逃げ出しましたっけ。早いものであれから十一年。あのときは、もうちゃあんと立っちしてらした。いえ、それどころかそこらじゅうにヨチヨチ歩いたり走ったり。だって、ちょうど前の日。前の日?」

 

 この台詞が語られるシーンは、多くの観客の印象に残っているはずだ。音楽が転調すると、華やかな舞踏会のシーンが中断され、乳母がジュリエットを前にこの台詞を語り出す。舞台の奥に置かれていた巨大な壁とスクリーンがせり上がり、そこにはがれきのように積み上げられた家具が姿をあらわす――舞台の終盤に登場するこのシーンはとても印象的だ。また、この台詞を語る夏子さんの声もまた印象に残っている。藤田君もまた、『ロミジュリ』を振り返って「乳母が良かったと思う」と語っていた。「あの乳母の言葉は変なリズムが生まれる感じがあって、それがすごい良かった」とも語っていたけれど、夏子さん自身は自分の声についてどう感じているのだろう?

 

 「演劇をほとんどやったことがないので、声のことは非常に心配なところではあったんです」と夏子さん。どれぐらい出したら伝わるのかっていうのは気になってたんですけど、私は歌をうたっていたので、声を潰さないっていうことにおいては良かったなということではありました。ただ――稽古が始まった最初の頃はあんまり心の揺れみたいなことを表現してなかったんですけど、本番が近づいた頃に藤田さんから『どうしてそんなに冷静だかわかんない』っていうことを言われたんです。逆再生で描いているから、早めにその感情にたどり着かないと遅れるっていうことを言われて。でも、テンションをあげ過ぎると聴きづらい声になるので、そのバランスは意識しながらやってましたね」

 声、ということで思い出すのは『cocoon』という作品だ。2015年に『cocoon』を再演するにあたり、藤田君は主人公のサンを演じる青柳いづみさんと音楽を担当する原田郁子さんと一緒に『cocoon no koe cocoon no oto』というリーディングツアーを行い、『cocoon』にはどんな音が、声がありうるのか探りながら旅をした。“cocoon”というのは繭を意味する言葉だけれど、『cocoon』という作品における音や声というのは、絶望的な現実に置かれた登場人物を守る繭のようにして存在していたように思う。夏子さんにとって、音や声というのはどういった存在なのだろう?

 

「音楽っていうのはすごい大事なもので、感情が一番揺れるものだと思ってます」と夏子さん。「心を揺らすっていうことなのかな。音楽によっていろんなものを許せる状態になったり、生きてることの良さを感じたりするんです。最初にマームを好きだと思ったのも、音楽によって何かを感じた部分は多くて。『ロミジュリ』のときも、演技する上で音楽に助けられたっていうのはあります」

 

 夏子さんが『ロミジュリ』で演じたのは乳母であり、『sheep sleep sharp』で演じるキャラクターは青柳いづみさんが演じる「私」の姉にあたる女性で、この「姉」というキャラクターには娘(No.5の記事に登場する谷田真緒さん)がいる設定だ。

 

「私にこどもがいるわけではないので、わかりきれないところはあるんだけど、母性みたいなものを考えるときにはやっぱり家族のことを考えるなって思います。特に母親のことですね。母が子を思う気持ちっていうのは、『母親から私がどう思われてたか』っていうことよりも、『私が母に対して思っていること』に近いような気がしていて、今回母親という役をやる上でまた母のことを考えるだろうなと思うんです。やっぱり、家族に対してだけは違う思いがあるんですよね。こういうと家族以外に対して冷たいように思われるかもしれないですけど、家族に対する思いが強過ぎて、そこには圧倒的な差があるんです。家族の痛みっていうのはよくわかるし、そこまで無条件に思えるのは家族しかなくて。家族以外の人に対しては、思いが強くならないようにブロックしているようなところもあるんですけど。そこには圧倒的な違いがあって、家族のことを考えると泣きそうになることはよくあります」

 

 藤田君の作品では、何度となくコドモという時代が描かれてきた。『カタチノチガウ』という作品に登場する三姉妹もまた、最初はコドモとして登場する。しかし、舞台のエピローグで長女は母になっており、余命の短い彼女は自分のコドモを次女に託し、自ら命を絶つ。ここで描かれる母は、絶対的にコドモを庇護する存在ではなく、まさに繭のような脆さを抱えている。その脆さは、『ロミジュリ』における乳母にも、プロットを読む限りは『sheep sleep sharp』で夏子さんが演じる「姉」にも共通する。

 

「私の母は、地震がかなり怖いらしいんです」と夏子さんは言う。「私は東京で生まれてるんですけど、小学校からは佐賀で育ってるんです。私には弟がいるんですけど、弟がまだ小さかった頃に地震があって、弟の頭に蛍光灯が落ちてきたことがあったんです。いつか大きな地震がくるってことはずっと言われてるから、東京は地震が心配だっていうことがあって引っ越したんです。父親の両親が具合悪かったっていうのもあるんですけど、地震のことが結構大きかったらしくて。心配性の度合いがすごくて、ちょっとした震度3とかの地震でもダメなんです」

 中村夏子さんに話を聞き終えると、同じ地下室で中村未来さんに話を聞く。普段はダンスというフィールドで活動する未来さんが最初に観た藤田君の作品は、2016年にLUMINE0で上演された『あっこのはなし』だ。その作品を観てすぐに、彼女はすでに募集が始まっていた『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景』のオーディションに申し込んだという。

 

「私はもともと酒井幸菜さんの作品にご一緒させてもらってたんですけど、去年の1月ぐらいに酒井さんと色々お話する機会があったんです。そこで酒井さんと話したときに、私は踊るのが好きですけど、ダンスがやりたいってわけじゃなくて、酒井さんの作品の世界に関わりたいんだなと思ったんです。そんなことを考えていたときに『あっこのはなし』を観て、藤田さんが作る世界をやってみたいなと思ったんですよね。それは演劇をやりたいっていうわけではなくて、藤田さんの世界をやってみたいと思ったんです。普段はフットワークが重いほうだから、『ドコカ』のオーディションに応募するのもすごい迷ったんですけど、まあでも行ってみようと思ってメールを送りました」

 

 『ドコカ』のオーディションに応募した時点では、同じ時期に募集が始まっていた『ロミオとジュリエット』に申し込むつもりはなかったという。

 

「『ドコカ』のオーディションを受けたとき、受付で『「ロミジュリ」のオーディションは受けますか?』って聞かれたんです。今思うとあの質問は何でだったんだろうって思うんですけど、最初に聞かれたんですよね。そのときは『受けるつもりはないです』って答えたんですけど、『ドコカ』の最終選考が終わって、このメンバーでやっていきますって決まったあと太田順子さんと一緒に帰っていたら、ちょうど銀ゲンタ君と田村律子さんが前を歩いていて、4人で与野本町駅の向かいにある居酒屋に行ったんです。そこで色々話をしたんですけど、『ロミジュリ』のオーディションの話になって、『僕も受けたかったけど、募集が女子しかなかったから受けられない』ってゲンタ君が言っていて。その話を聞いているうちに、受けるだけ受けてみようかなっていう気持ちになったんです。あの飲み会がなかったら、決心はつかなかったかもしれないですね」

 未来さんはそれまでオーディションを受けたこともなく、緊張していたという。でも、緊張しながらも楽しかったのだと振り返る。

 

「『ドコカ』のオーディションに行ったときはまだ一作品しか観てなかったし、ワークショップでどういうことをやるのかもわからなかったし、ましてや演劇をやってきたわけでもないから、ものすごく場違いかもしれないなと思ったんですよね。でも、酒井さんとの稽古でやっていた作業に近いこともあって、『ああ私、これ知ってる』と嬉しくなったんです。それに、オーディションのときに『僕は道具と役者を等価に扱いたい』って話をされて、このオーディションを受けにきてよかったなと思ったんです。私が酒井さんの作品でやっていたことって、『このテーブルを使う』とか『このコップを置く』とか、そういうことと同じような感じで、私を舞台上に置いてもらっていると思っていて。私はもともと身体がきくタイプじゃないんですけど、そこに大きな振付がなかったとしてもそういうふうに使ってもらえるのが嬉しいし、そういうことがやりたいと思ってたんですよね」

 

 実際に稽古が始まったとき、未来さんが印象的だったことの一つは作品のつくりかただという。「すごいなと思ったのは、本番初日を迎えるまでに完全に作っていくっていうよりは、初日があけてからも稽古があって、良い意味で作品を変えていったんです」。そのスタイルは、『ドコカ』に限らず、藤田君の作品すべてに共通するものだ。

 

「『ドコカ』のときはまず、ベンチを運ぶ動きだけ作って、そのあとにテキストをもらうっていう感じだったんです。ベンチの動きだけのときはダンスの感覚にちょっと似てたから、そんなに苦じゃなかったんですけど、いざそこに台本が入って、台詞きっかけでベンチを動かしていかなきゃいけないってことになったときに頭が真っ白になって。演劇だから台詞が入るっていうのは当然わかってたんですけど、人の台詞で自分のきっかけを取っていかなきゃいけなくなったときにもう、パニックというか。それは『ロミジュリ』の稽古のときにも同じことを思いましたね。世界的に有名な話ですけど、いざ稽古が始まってみると巨大な壁が舞台上にあって――今となってはあの壁のない『ロミオとジュリエット』が想像できないですよね。あの巨大な壁を動かすだけでも体力的に大変だと思いますけど、私たちの動きを見て、台詞できっかけをとりつつ、膨大に動かしていく。それをすごく近い距離で観ていたので圧倒されました」

 

 以前から藤田君は「俳優も小道具も音も光も、すべて等価値なものとして舞台上に配置したい」と語っていたけれど、『ロミオとジュリエット』ではそれが極点にまで達していたように思う。そこに至るまでにはいくつもの流れがあるが、その一つは間違いなく藤田君と酒井幸菜さんによる共同作業『Layer/Angle/Composition』だろう(Compositionはまさに「配置」を意味する言葉だ)。この作品はまず2014年11月に発表され、今年の2月に改めて上演されている。酒井幸菜さんとの作業は、『ドコカ』や『ロミジュリ』にも影響を与えているはずだ。

 

「すごい個人的な感想ですけど、『Layer/Angle/Composition』はいつまででも眺めていられるなっていう感じでした」と未来さんは言う。「ストーリーはあえてぶつぎりに並べられてましたけど、大好きなお二人の世界が詰まっていて、また明日も観たいって思いました」

『Layer/Angle/Composition』撮影:前澤秀登

 『Layer/Angle/Composition』は、藤田君と酒井さんというふたりの作家が共通のキーワードから創作が始めた作品だ。酒井さんは共通のキーワードからイメージする振付を、藤田君は共通のキーワードからイメージするテキストを、それぞれ吉田聡子という出演者に渡す。これが“フェーズ1”だ。“フェーズ2”ではそれが交換され、テキストが振付に、振付がテキストに変換される。最後の“フェーズ3”では、それらが一つのシーンとなっていく。この作品には台詞のない時間も多々存在するけれど、実際には語られていなくても言葉が立ちのぼっていくように感じる瞬間もあった。

 

「そうですね。言葉っていうよりも、身体から出てくるものはあったと思います。これは漠然と思ったことですけど、それが人を配置する理由なんだろうなって思ったんですよね。しゃべらなくても身体から見えてくるものや聴こえてくるものがあるから、人を配置するんじゃないかっていう」

 

 人が舞台上に“配置”されている――そうした印象は『ドコカ』という作品の中でも感じていたものだ。もっと言えば、その作品に出演する中村未来さんの姿に感じていた。鉄道事故をモチーフとしたこの作品は、登場人物たちが電車に乗り合わせている場面が幾度となく描かれる。そこで言葉を交わす人もいれば、ただ居合せているだけの人もいる。この“ただ居合わせている”という時間の中村未来さんの佇まいはとても印象的だった。単に台詞がない時間を過ごしているのではなく、ある存在感を携えてそこに佇んでいた。藤田君もまた、『ドコカ』における中村未来さんを振り返って「歩いている姿が美しかった」と語っていた。

「それはすごく嬉しいですね。私はダンスがしたいとか演劇がしたいとかっていうことよりも、究極はその作品の世界にいたいっていう感じなんです。大学のときに演劇の授業を受けたことはありますけど、それも沈黙劇なので、台詞をしゃべったことがあるわけじゃないんです。そこでいざ台詞をしゃべるってなったときに、どう声を発したらいいんだろうっていう不安はあったんですけど、そこで佇まいを見てもらえたとしたら嬉しいです。それは役者としてはどうなのかってことにつながるかもしれませんけど、“そこに存在している”っていうことぐらいしかないなと思ってます」

 

 彼女の持っている佇まいは、新作『sheep sleep sharp』で演じる役柄にも関係しているように思う。『sheep sleep sharp』という作品で描かれるテーマの一つは“言葉のなさ”であり、稽古が始まる2ヶ月以上前に執筆されたプロットには「姉の娘には『言葉がない』」という一行もある。つまり、言葉を持たない役として描かれるのは第一には谷田真緒さん演じる姉の娘であるけれど、プロットをよく読むと、中村未来さんが演じる役もまた言葉を持たないキャラクターだ。

 

「こないだの『Layer/Angle/Composition』でも、演劇を観たいっていう人はしゃべらないことにフラストレーションを感じるかもしれないですけど、無音であってもそこから見えてくるものはあると思うんです。私はそういうものを見たいと思うし、もし私がそういうポジションの役になるとしたら嬉しいですね。最初に『ドコカ』のオーディションに応募したときから、『藤田さんのつくる世界の中でそういうふうに存在できたらいいな』と思っていたところもあるので。プロットを読むと、もしかしたらそんなに動きもないのかもしれないですけど、仕草一つから立ちのぼってくる気配みたいなものはありますよね。踊ったりとか台詞をしゃべったりとか、そういうことももちろんありますけど、それこそ全員一人一個の身体を持っていて、その身体がそこに置かれることで見えてくるものがある――そういうふうに作品の中にいられるとしたら、それは幸せなことですね」

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