top of page

カタチノチガウ(2017)ドキュメント/アジアの片隅でカタチノチガウ未来を想像する

「お、きた。チャーハンだ」

 

「普通に美味しそうだよ」

 

「うん、普通にうまい。こういうのでいいんだよ」

 

「昨日までのごはんは何だったんだろうね。何を食べてるのかもよくわかんなかったよね?」

 

「よくわかんなかった。ちょっと今、『IL MIO TEMPO』でイタリアの皆に日本にきてもらったとき、納豆とか食べさせようとしたのを反省してるもん」

 

 2017年4月9日。台湾の高雄市内にある食堂で『カタチノチガウ』の打ち上げが行われていた。高雄入りしてからというもの、なかなかおいしい食事にめぐりあえずにいたけれど、ようやく「うまい」と言える食べ物と出会って皆ホッとした様子でいる。『カタチノチガウ』という作品が最初に上演されたのは2015年1月のことだ。それから横浜、北京、京都と旅を続けて、今回の高雄公演に至る。

 

 台湾にいると、日本に近い感覚で過ごしていることに気づかされる。いたるところにセブンイレブンとファミリーマートがあり、クロネコヤマトのトラックが走り、テレビをつければ日本のバラエティ番組が放送されていることもある。どこか油断した気持ちで街を歩いている自分に気づく。それと同時に、2年前に訪れた北京では緊張していたことを思い出す。北京公演の初日があけたあと、『カタチノチガウ』の出演者である川崎ゆり子さんとこんな会話をしたのをおぼえている。

 

「稽古があるからそんなに街を歩いたりする時間はなかったかもしれないですけど、北京はどうですか?」

 

「あの、思っていたのと違くて。まず、空気がもっとヤバいんだと思ってて、全員がマスクしてると思ってたんですよ。でも、聞いてみたら北京の人が全員マスクして歩いてたのはPM2・5がひどかった時期のことで、日本ではそのときの映像がずっと流れてたっていう。あと、私たちが到着した前の日までが“パレード”だったんです。“パレード”のために青空をつくるってことで、近隣の工場を休みにさせたらしいです」

 

 “パレード”というのは抗日戦争勝利70周年を祝う軍事パレードで、各国の首脳を招いて天安門広場で盛大に開催された。パレードが開催されるということは日本でも報じられており、反日ムードが高まっているのではないかと少し緊張していたのを思い出す。しかし、いざ北京を訪れてみると、あちこちに「中国人民抗日戦争勝利70周年」という文字が掲げられてはいたけれど、そこに暮らす人たちの多くはそんなことには無関心であるように見えた。それと同時に、報じられている情報だけで――もっと言えばそこに暮らす人たちの国籍が違うというだけで――身構えていたことに気づいてハッとする。

 

「今日は国際交流基金の呉さんとしゃべりながらホテルまで帰ってきたんですけど、結構深いことを話してくれて」。北京公演のあと、川崎ゆり子さんはそう話を切り出した。「なんか、人の悲しみって、本当にはわからないよねって話とかをして。それって複雑な話だけど、マームが作品を通して考えてきた事だったりもするから、複雑でも伝わるって事はあるんだろうとも思えたんです。そして同時に、言葉が通じないと、そんなことって考えてなさそうに見えたりするんだって。言葉が通じるだけでそういう話までできるのにな、と思って。言葉が通じればそんな事まで話せる可能性があるのに、言葉がわかんないという時点で、同じ人間に見えなくなってしまったり。そんな自分が、悔しいなと思いました」

会場となる高雄市立図書館総館

 今回の高雄公演は、『カタチノチガウ』としては三年目の公演であり、3ヶ国目の公演だ。三月上旬、横浜にある急な坂スタジオで稽古を始めるにあたり、出演者とスタッフを前に藤田さんはこう語り始めた。

 

 「この作品もこれで三年目だけど、あんまり旅先でやるとかってことは考えてなくて、作る場所だと思うんだよね。こないだ『てんとてん』で韓国に行ったけど、韓国で何が起きているかはさておいても、観にくるのはその場所の人たちだっていうことで、考えざるを得ないところはあって。『てんとてん』は韓国から始まって、新潟に移動して、新潟公演が終わると福島に移動して『タイムライン』の作業があって――あらためて自分が選んでる土地はハードだなっていうふうに考えちゃったんだよ。ハードだっていうのは別に、福島だからとか韓国だかとかっていうことよりも、新潟にしたっていろんな歴史があって、それは調べざるを得ないじゃん。その場所の歴史みたいなことをあんまり考えないようにしたいところもあるんだけど、どうしたって気になってしまうところはあって、それは言葉の響き方にも影響してるような気がするんだよね。

 

 その、言葉のありかたみたいなことが沖縄の先にある高雄っていう場所で――アジアっていう場所で――どう組まれていくかっていうことは、楽しみでもあるし不安でもある。やっぱり、人に自分の作品を見せるのはすごい疲れるんだよ。それは自分の作品の性質上あると思っていて、自分の言葉を聞いている人を目の当たりにしてやっていくと結構食らう部分があるし、自分に返ってくるところがある。それはネガティブなことじゃなくて、返ってこないことはやりたくないなっていうことなんだけど、『カタチノチガウ』をやるのは緊張するなって思ってる」

 

 マームとジプシーの作品が韓国で上演されるのは今年2月の『てんとてん』ソウル公演が最初だったけれど、以前から藤田君と韓国にはつながりがある。マームとジプシー初の海外公演より先に、2012年2月、ソウルでワークショップを開催している。『塩ふる世界。』を観たヘジュさんというディレクターに招かれ、藤田君は初めて海外に渡航してワークショップを開催したのだ。その日は朴槿恵が大統領に就任した日で、参加者たちもその話題で持ちきりだったという。『てんとてん』のソウル公演初日は、朴槿恵が大統領に就任してちょうど四年に当たる日で、その日は退陣を求める大規模なデモが開催されていた。

 

 『てんとてん』ということで言えば、三年目の旅で訪れたのはケルンだ。ケルンは移民の目立つ町だったけれど、穏やかな時間が流れているように感じた。しかし、その年の大晦日に大規模な暴行事件が起こる。事件が報じられたとき、僕は数ヶ月前にその町を「穏やかだ」と感じたことを思い出して愕然とした。自分はその町で何を見ていたのだろう。自分はその町のことを何もわかってもいなければ、わかろうともしていなかったのではないか――そんなふうに考えたのは僕だけではなく、あのときケルンを訪れた皆がそれぞれ思い浮かべたのではないか。そうした蓄積は、『てんとてん』だけにでなく、『カタチノチガウ』にも影響を及ぼしている。2016年に『カタチノチガウ』が再演されたときには、エピローグにこんな台詞が書き加えられていた。

「いちどだけ、いちどだけ、いまから話すんだけど」

「うん」

「いちどだけしか話さないから、だから」

「うん」

「だから、よくきいてほしいんだけど」

「うん」

「わたしは、何年も、何年も、いろんなところを旅して、いろんなものを見つめて、いろんな音を聴いた。世界がどうやらおかしくなっていく、その様子も見つめていたし、聴いていた」

 

 『カタチノチガウ』はどういう作品であるのか、ここで少し説明しておく。

 

 この作品は“いづみ”と“さとこ”と“ゆりこ”の三姉妹の物語だ。この三姉妹は町のぜんぶを見渡すことのできる小高い丘の上のお屋敷に住んでおり、作品の序盤では彼女たちがこどもだった時代が描かれる。“いづみ”と“さとこ”は血が繋がっておらず、“ゆりこ”はふたりと半分ずつ血が繋がっている(つまり“いづみ”の母と“さとこ”の父による子だ)。ある日、長女の“いづみ”は「わたしたちの母親のことがとても嫌いだった」といって突然家を出てゆく。「もう帰ってこないよ」と言い残して町を出た“いづみ”は、エピローグでは母となり、子を連れてお屋敷に帰ってくる。もうすぐ死んでしまう“いづみ”は、そのこどもの未来を“さとこ”に――血の繋がりのない相手に――託すために戻ってきたのだ。

 

 この作品の中では、さまざまな角度で「カタチノチガウ」ということに思いを巡らせている。三姉妹はそれぞれ姿形が違っている。姉の親指は外側にぐにゃりと曲がっている。町を出た姉は見知らぬ国を旅して、姿形も違えば肌の色も違う人たちと出会う。姉のコドモは「普通とカタチノチガウコドモ」だと語られる。また、“いづみ”と“さとこ”が関わりを持つ相手は「いろんなカタチでするのが好きなオトコノコ」だ。あるいは、三姉妹の家族の姿も、普通とは違っているかもしれない。そうして様々な角度から「カタチノチガウ」ということについて――中国語では「異形」ということについて――考えを巡らせている。しかし、高雄を訪れて早々に、「異形」の受け取られ方に藤田君はショックを受けることになる。

 

 高雄公演を前にして、藤田君は現地の大学に招かれてトークイベントに出席した。大学の先生は学生たちに『カタチノチガウ』の北京公演の映像を事前に見せた上で、藤田君を講義に招いたのだ。そのトークイベントの第一声で、大学の先生は藤田君に「この会場にいる皆、あなたのことをクレイジーだと思っている」と言った。そのトークイベントのことを、藤田君はずっと引きずっているように見えた。高雄公演の初日、本番を前にリハーサルを行っていると、あるシーンに差し掛かったところで藤田君は「はいはい、ちょっとストップ」と稽古を中断させた。それは、“さとこ”がこんなことを口にするシーンだ。

「お父さん、お父さんさあ、お姉ちゃんとさあ、交わったことがあるってほんとう? だとしたらさあ、わたしとも交わってよ。お姉ちゃんと交わることができて、わたしと交わることができないってことはないでしょう?」

 

 この台詞は突然登場するわけではなく、そこに至るまでには長い時間がある。“いづみ”が出て行ったあと、“さとこ”はベンジャミンという男と出会う。彼は「お姉さんよりカラダがやわらかいぶん、いろんなカタチでできるね」と口にする。その一言に、“さとこ”は不快感をおぼえつつも、姉とは違うという優越感に浸るとともに、姉とのつながりをも感じる。カタチノチガウ姉妹の関係は、二人がはなればなれになったことでより一層ねじれてゆく。その果てに上の台詞が登場する(そして、その言葉を偶然耳にした“ゆりこ”は姉がお屋敷を出て行った真相を知り、父を殺してしまう)。この台詞に至るまでのシーンで、“さとこ”は複雑な動きを繰り返す。その時間のことが藤田君はどうしても気になるようだった。

 

「今、聡子がちょっと振付っていうミッションをやってる人みたいになってるのがよくないと思う。この時間で何をやっているかっていうと、どうやって自分の内側と付き合っていくのかっていうことと、どうやって自分の外側を認識していくかっていうことだと思うし、ここで悩んでることが出てこないと最終的にカタチノチガウコドモを預かれないと思うんだよね。父親に言う台詞にしても、『それを言うって、普通に考えてすごいことだよな』っていう感覚が聡子の中で薄れてきてる気がする。父親に対して『わたしとも交わってよ』って言うってことが、フィクションだから言えるってことになると違うと思うんだよね。それは別に、次女は本当に頭が狂ってるとかそういう抽象的な話を引き合いに出したいわけじゃなくて、その言葉を言うってことはどういうことかってことだと思う。それを言うってことは、内側と外側でかなりこじれていかなきゃダメなはずなのに、そこがするする行っちゃってる気がするんだよね。

 

 だから、この話が観客の中で『変わった話を聞いてる』ってことになっちゃうのが僕の中で違和感なんだよね。それはこないだのトークと同じで、『クレイジーだ』って一言で言われてしまうような作品にはしたくないんだよ。この作品で描いてることって、僕の中では全然クレイジーな話じゃなくて、他者とのあいだで悩んで当然のことだと思ってるんだよね。それを考えれてるかってことが一番大事なことなのに、そこを『そういう世界観だから』ってことでやっちゃうと現実感がなさ過ぎるんだよ。それはゆりりもそうで、“さとこ”と父親の会話を聞いたあとに起こすアクションっていうことが、ゆりりの中にある現実感からかけ離れたものとして行われるのであれば、別にゆりりとやらなくていいんだよね。

 

 役者さんっていうのは演じれちゃう人たちだから、『藤田さんに「それをやっていい」って許されたこの世界の中で、許されたからそれをやる』っていうことにすぐなるじゃん。でも、それって相当な嘘だから。そうじゃなくて、それをやるためには自分としてどういう感情的なハードルを越えなければいけないのかってことを考えて欲しいんだよね。そうしないと、やっぱ嘘を観てるっていうふうになっちゃうんだよ。そういうふうに台湾の人に伝わって欲しくないし、そういうふうに捉えられるんだったら海外に来なくてよかったなって思っちゃってるんだよね。だから、現実感を伝えたいんだよ。……じゃあ、もう一回行きましょうか」

 

 稽古が再開される。“さとこ”と父親の会話を耳にした“ゆりこ”は、父親の喉元にナイフをつきたてる。そこで語られる台詞は、今年新たに書き下ろされた台詞だ。

「こんなに身近で起こっていたことさえも、わたしはなんにもわかっていなかった。お父さんがなにをかんがえていたのか、いづみちゃんがなにをかんがえていたのか、さとこちゃんも、お母さんも、このお屋敷で、なにをおもって、日々、過ごしていたのか。それさえも、わたしは、なんにもわかっていなかった。『どうして? どうして?』こんなに身近なところで? ありとあらゆる、壁という壁。ありとあらゆる、壁という壁」

 

 藤田君が『カタチノチガウ』という作品を書き始めたのは、2014年に『てんとてん』でイタリアをツアーしているときのことだ。三都市目に訪れたアンコーナというのは、アドリア海に面した港町だと聞いていた。しかし、皆を乗せたクルマはどんどん海から遠ざかって山を登り、たどり着いた宿泊施設は広大な風景の中にぽつんとあるお城のような建物だった。

『カタチノチガウ』の劇中では、アンコーナで目にした広大な風景がスクリーンに映し出される

 キッチンでスープを作っているあいだ、藤田君とぽつぽつ言葉を交わした。藤田君は真剣に鍋を見つめたまま「やっぱり僕は、母親たちに対して興味があるんですよ」と語り出した。「今まではまだコドモだったから、どこか母親たちに対して他人事で見てた気がするんですよ。でも、どうやって自分を育てたのかとか、母親たちに対して興味はありますね」

 

 そのとき藤田君はまだギリギリ20代で、30歳という年齢を迎えることを意識していたように思う。一つの節目となる年齢を迎えたことや、ちょうど50歳離れた蜷川幸雄さんの半生を描く『蜷の綿-Nina's Cotton-』に向けた作業が始まったこと、『cocoon』を再演すること、様々なことがあいまって、10年後、20年後、30年後、40年後、50年後の未来を想像し始めたのだろう。そうして想像を膨らませていくと、自分のいなくなった未来を生きる世代を――コドモのことを――考えることになる。『カタチノチガウ』を執筆している時期、藤田君はこんなふうに語っていた。

 

 「コドモが産まれたとして、コドモっていうのも結局他人だし、究極的には一人だっていうことがあると思うんですよね。その隔たりについて言っていきたいっていうのもあるんですけど、コドモを残して自分が死ぬってことになったら、コドモを誰かに託さなきゃいけないわけですよね。それはもう、一人とは言えないわけですよね。そこではもう『私は一人で死んでいく』とは言えないんじゃないか――『カタチノチガウ』ではそこをやりたいんだと思います」

 

 今年高雄で上演された『カタチノチガウ』を観ていると、この時と比べるとかなりモードが変わっているように感じられる。そのことを考える上で大きいのは、去年京都で上演された『0123』という作品だ。この作品は四つの作品から構成されており、0=『水面にたゆたう』、 1=『あのひのひかり』 、2=『ずっとまえの家』、そして3として上演されたのが『カタチノチガウ』だ。これらの4つの作品には童話がモチーフとして取り入られており、『カタチノチガウ』にはシンデレラのエピソードが織り交ぜられている。

 

「『0123』で童話を扱ったのは、人間の本質が描かれている何かについて考えるということだったんだと思います」。『0123』の公演が終わったあと、会場となった元・立誠小学校の前でビールを飲みながら藤田君はそう語っていた。「それはきっと、このあとに『ロミオとジュリエット』があるからだろうと思いますし、『ロミオとジュリエット』をやることでこのあとの作品も大きく変わってくるんだと思います」

 

 童話というのは昔から語り継がれてきた物語であり、『ロミオとジュリエット』という作品も何百年と繰り返し上演されてきた戯曲だ。そうして繰り返し様々な場所で受け継がれてきたのは、人がそこに普遍的なものを感じるからだろう。『0123』と『ロミオとジュリエット』、二つの作品を経たことで、藤田君の意識も変わったように思える。『カタチノチガウ』という作品を描き始めた時点では、たとえば50年後の未来ということを想像していたのに対し、今ではもっと長い時間の中に存在する普遍的なものを探り当てようとしている。

 ここまで書いてきた通り、マームとジプシーは『てんとてん』と『カタチノチガウ』という作品でツアーを重ねながら、世界で起こるありとあらゆる出来事に思いを巡らせてきた。『カタチノチガウ』という作品には、2016年からこんな台詞が登場する。

 

「わたしはあれから、いろんなところを旅した。お屋敷から持ち出したたくさんのお金を切り崩し、切り崩しながら、何年も何年も旅をした。旅をしながら、いろんなものを見つめた。いろんな音を、聴いた。砂漠のまんなかにある巨大な立体物、あれはなんのため? 絶妙な傾きを維持しつづける塔、あれはどうして? 雑多な市場、売り物の魚のうえにネコが座っている。クラクションの音。はじめて聴く、言葉の数々。その連続と、重なり。耳にはいってくる音たち、すべてがまあたらしくて、胸が高鳴る。こうやってざわざわと、わたしの身体にはいってきては通り過ぎていく。その繰り返し、繰り返しが、心地よかった」

 

 繰り返すことで変化してゆくものもある。

 

 高雄公演が終わったあと、2年前の北京と同じように「緊張しましたか?」と川崎ゆり子さんに尋ねてみると、「前回の、北京のときみたいな緊張のしかたはしなかったと思います」と彼女は言った。「それはでも、『IL MIO TEMPO』が大きかったんだと思うんですよね。あの作品はイタリアの皆と作りましたけど、私が出会ったイタリアの皆は見た目も育った土地も全然違うんだけど、そんなに違わないっていうか。たとえばアメリカとかの新しいカルチャーに対してなんとなくのあこがれがあったり、ちょっと自分の国を野暮ったく感じるっていうのが日本人と同じレベルであるんですよ。ぐっと来るシーンや、好きな音楽が一緒だったりもする。そういう意味では人種っていうのは同じなのかなって思ったんですね。だから、今回の高雄公演に関しても、本番をやるときの当たり前の緊張は、日本での時と同じようにあるんですけど、海外だからってことではなかった気がします」

 

 改めて、藤田君が急な坂スタジオで稽古の時に「言葉のありかたみたいなことが沖縄の先にある高雄っていう場所で――アジアっていう場所で――どう組まれていくかっていうことは、楽しみでもあるし不安でもある」と語っていたことを思い出す。ヨーロッパからアジア、南米まで世界中で上演されてきた『てんとてん』に比べると、『カタチノチガウ』は東アジアのごく狭い地域で旅を重ねてきた。似ているようで確かに違っている土地に足を運んできた。そのことは、今年加筆されたこの台詞にも影響を与えているのではないか?

 

「こないだ、パリで中国人が警察官に殺される事件があったじゃないですか」と藤田君は言う。「ああいうことが起こりうることになってきて――アジアっていうことについては北京公演の時も思ったし、今回も考えてるんだけど、この作品でアジアをツアーするのも面白いなと思ってきてるんですよね。『カタチノチガウ』の問題意識として、内側と外側っていうのがあると思うんです。お屋敷っていう内側と、世界っていう外側があって、長女は外側に出て行ったのにまた内側に戻って死んでしまう――それが一つの巨大なカラダみたいな感じになってると思うんですよね」

 『カタチノチガウ』という作品は、お屋敷に暮らす三姉妹の物語だ。ただ、彼女たちが暮らす国が日本であるということは限定されておらず、時代もいつであるのか限定されていない。いつの時代にも存在しうるごく小さな世界を描くことで、藤田君は何か普遍的なものを描こうとしている。それを象徴するのは「壁」という言葉だ。

 

「『カタチノチガウ』っていう作品は、小さなコミュニティの中での差別について話してると思うんです」と藤田君は言う。「長女の“いづみ”は、最初の年に上演したバージョンでは自分の血を呪ってたと思うんだけど、今年のバージョンとして台詞を書き加えたことによって変わってきたと思うんです。その台詞を言うことによって、『ありとあらゆる、壁という壁』っていう言葉に尽きるんだけど、そのことに取り組めてるんじゃないかと思うんですよね」

 

 「ありとあらゆる、壁という壁」。その台詞は『ロミオとジュリエット』を上演するときに書き加えた台詞でもある。昨年12月の『ロミオとジュリエット』を経て、藤田君は『カタチノチガウ』に新しい言葉を書き加えたくなったのだろう。あらためて、今年の『カタチノチガウ』に加筆された言葉を反芻する。その言葉はきっと、台湾から帰国するとすぐに稽古が始まる『sheep sleep sharp』という作品に続いている。

 

「わたしたちは、カタチノチガウ。ずっと、カタチノチガウままで。だけれど、それがなんだっていうのだろう。わたしたちは、カタチノチガウ。それはそれで、いいじゃないか。わたしたちは、カタチノチガウ。それはそれで――」

bottom of page