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尾野島慎太朗 インタビュー

 新作『sheep sleep sharp』の公演初日も一週間後に迫り、稽古も佳境を迎えつつある。ある日、稽古が始まる前の時間に出演者の尾野島慎太朗さんと待ち合わせた。待ち合わせ場所に選んだのは、稽古場までの最寄り駅のプラットフォームだ。ここ数年、稽古場に通うために何度となく踏みしめてきたプラットフォームで、尾野島さんに話を聞く。

――尾野島さんは桜美林大学出身で、藤田君の一年先輩にあたるわけですよね。学生時代から藤田君のことは知ってたんですか?

 

尾野島 知ってました。僕が大学3年生のときに「OPAP」(桜美林大学パフォーミングアーツプログラム)の企画として平田オリザさんの『バルカン動物園』をやったんです。それに藤田君とか石井(亮介)君とかあっちゃん(成田亜佑美さん)も出てたんですけど、関わったのはそれが初めてですね。藤田君は積極的に行動してたから、その前から知ってはいましたけど、まさかここまで一緒にやるとは思ってなかったです。

 

――「積極的に行動していた」というと?

 

尾野島 今はわかんないですけど、当時は大学一年生のときは皆、そんなに動かないんですよ。でも、藤田君は大学入ってすぐに劇団を立ち上げたり、学内の企画で演出助手をしたりして、すごい積極的だなっていう印象がありました。それは藤田君に限らず、石井君や実子ちゃんもそうでしたけど。

 

――じゃあ、初めて話したのは『バルカン動物園』のときですか?

 

尾野島 いや、そのときは全然しゃべんなかったですね。でも、『バルカン動物園』の公演が終わってしばらくして急に呼び出されたんです。なんか怒られるのかなと思ったら、企画書みたいなのを渡されて、「こういう公演があるので出てくれませんか」って言われて、そのときに初めて話したんです。

 

――当時はマームとジプシーではなく、荒縄ジャガーという団体だったわけですよね。その作品に出演して以降も荒縄ジャガーの作品には出てたんですか?

 

尾野島 いや、出演はそれっきりです。でも、公演があるとちょくちょく観に行っていて、マームとジプシーの旗揚げ公演『スープも枯れた』も観たんです。第3回公演の『ほろほろ』は大学のPRUNUS HALLでやってたんですけど、そのとき初めてリフレインというか、同じシーンをもう一回やる演出があって、そこで感動したのをおぼえてます。その頃は観客として普通に観てましたね。

『たゆたう、もえる』(2010年)撮影:飯田浩一

――尾野島さんがマームの作品に初めて出演するのは2010年2月の『たゆたう、もえる』で、藤田君の作品に出演するっていうことでいうと荒縄ジャガーの作品に出てからしばらく間があくわけですよね。そこで『たゆたう、もえる』に出演することになったのは何かきっかけがあったんですか?

 

尾野島 僕は大学を卒業して1年ぐらいは普通にお芝居をしてたんですけど、そのあと1年半ぐらい引きこもってたんです。その期間はマームも観に行かなくなっていて。そのときに大学の時に知り合った人から「今役者を探してるんだけど」っていう連絡があって、また舞台に出たんです。それから、少しずつ、外に出るようになって。ちょうどその頃にマームとジプシーの『コドモもももも、森んなか』を観に行って。観終わったあと波佐谷君に「面白かった」って連絡したら、「次の公演のオーディションがあるから、受けてみたら」って言われたんです。それがきっかけですね。そのときは横浜線の矢部駅ってところの公民館でオーディションがあって、そのオーディションを伊野(香織)さんも受けてたんです。伊野さんは荒縄ジャガーの作品にもマームの作品にもずっと出てたから、「伊野さんもオーディション受けるの?」ってびっくりしたんですけど、そこで「マームとジプシーは劇団じゃないから」っていう話を聞いて。マームで常連の人でもわりとオーディションを受けてますね。

 

――そのオーディションに合格して『たゆたう、もえる』に出演するわけですけど、そこからしばらく、コラボ企画である『マームと誰かさん』シリーズや一人芝居のリーディング公演をのぞくと、ほぼすべての作品に尾野島さんは出演してますよね。

 

尾野島 そうですね。その時期は――特に2011年はキツかったです。僕が最初に出た頃はダイアローグが中心だったんですけど、『あ、ストレンジャー』のときに急にモノローグが増えたんです。他の人にはモノローグがあっても、僕とかはほとんどなかったから、そこでちょっと面食らいましたね。それで、『塩ふる世界。』からは身体を使うことも増えたり、それまでは要求されなかったことを要求されるようになったりして、うなされるようになりましたね。

 

――うなされる?

 

尾野島 いまだに夢を見るんですよ。夢の中で稽古をしてて、いつも怒られてるんです。『塩ふる世界。』のときは夢がリアル過ぎて、朝起きたときに「あれ、こんな変更あったっけ?」と台本をチェックするぐらい追い詰められてました。その始まりですね、『あ、ストレンジャー』は。

 

――そこでこう、ギアが変わった感じがあるんですね。2011年には『帰りの合図、』『待ってた食卓、』『塩ふる世界。』の三連作があり、この三連作で岸田國士戯曲賞も受賞してますけど、自分たちのスタイルを確立しようと全力で走っていた時期だと思うんです。今回、当時の作品の映像をいくつか見返したんですけど、かなり衝撃を受けたんですよね。当時も実際上演されたところを観てはいるんですけど、今との違いにギョッとして。モノローグの語り方も、役者の動きも今とはかなり違っていて、「ああ、そういえばこういうスタイルだった」と思ったんです。そうやって自分たちのスタイルを確立していく時期に、出演者として尾野島さんはどんなことを感じてましたか?

 

尾野島 最初の頃はまだ大学の先輩/後輩みたいなのがあったんですよね。僕は別にどうでも良かったんですけど、藤田君は先輩とか後輩とか、結構きにするんですよね。最初に『たゆたう、もえる』に出演した頃にも「もっとこうしろ」っていうのはあったと思うんですけど、先輩/後輩の微妙なラインがあってストレスがあったのかなとは思うんです。でも、『あ、ストレンジャー』の頃からはそういうのがなくなって、だんだん追い込まれていく感じはありましたね。藤田君も自分を追い込んでいったところはあって――一回飲みに誘ったんです。原稿とか台本書かなきゃっていうのですごい追い込まれてたときがあって、ちょうど男子の何人かで飲もうって話になってたから、「行く?」って誘ったんですよ。そのときは「忙しいんですいません」って断られたんですけど、あとでツイッターで「尾野島なんかに気を使われちまった」って言ってましたね(笑)

――その時期の作品というと、尾野島さんが「尾野島慎太朗でーす」と語るところから作品が始まるっていうことが多かったですよね。尾野島さんがマームの作品において担っている役割について、当時はどんなふうに思ってましたか?

 

尾野島 『帰りの合図、』は四人芝居だったんですけど、そのときに言われたのは「尾野島さんとまるまる(荻原綾さん)はバンドで言うとドラムとベースで、地盤をつくる役割を担って欲しい」みたいなことで。そのときも僕がしゃべって始まる作品だったんですけど、「これから始めるってことをちゃんと提示してくれ」と言われるようになりましたね。それまで僕がやってたのはおじいちゃんの役とか脇にいてちょっとしゃべる感じだったのが、僕の役割は下地づくりなのかなと思うようになってましたね。

 

――マームの作品に出演する人には、いろんなことが要求されますよね。『Rと無重力のうねりで』で「男子はボクシングジムに通って」と言われたっていうのはわかりやすい例ですけど、作品の中で木枠やイントレを組み立てたり、重い壁を動かしたり、どんどん要求がエスカレートしてますよね。それをやれる人たちだからマームの作品に出演しているんだと思うんですけど、もし初めてかかわる人がいたら「これは役者の仕事なんだろうか?」と思ったとしても不思議ではないよなという気がするんです。

 

尾野島 そうですね。でも、それは「台詞をおぼえる」みたいなことと同じことで、作品を構成する上で必要なことだと思うからやってるんです。それとは別に、「役者って何だろう」ってことは考えますけど。

 

――もう『sheep sleep sharp』の稽古も始まっていて、初日はまず物を舞台上に配置することから始まりましたよね。物を配置して、それをどう動かすかってことから作品が立ち上がっていくのはかなり独特な作業だなとも思うんです。舞台上にある物を動かすのも役者がやるわけですけど、マームにおける役者の役割っていうのは、尾野島さんとしてはどんなことだと思ってますか?

 

尾野島 僕がマームに出始めた頃って、稽古初日とかは話す時間が多かったんです。「休みの日に何をしてたか」とか、「こういうテーマで話をしてほしい」って言われて、皆がその話をして、そこから作品をつくっていく。役者のエピソードとか身体性みたいなものを台本にあげて、それに脚色を加えて作品にしていたところがあると思うんです。

『LEM-on/RE:mum-ON!!』(2012年)撮影:飯田浩一

――さっきの「尾野島慎太朗でーす」って語るところから作品を始めるっていうのもそれと重なる話ですよね。尾野島さんっていうノンフィクションがまず舞台上に存在していて、その尾野島さんが語る「僕」っていう存在に劇作家の――ということはつまり藤田君の――「僕」というものもどこか重なって、フィクションが立ち上がっていく。それはでも、『書を捨てよ町へ出よう』のときだって、最初は出演者のエピソードを聞くところから稽古が始まりましたよね?

 

尾野島 そうですね。『R』のときだと、ナカジ(中島広隆さん)がプロテインを買いに行くエピソードを話して、それを藤田君が「面白いね」って言って台本に書き起こしたり、誰かの動きからシーンを立ち上げて、そこに藤田君の記憶を織り込んで創作していくところはあったんです。でも、今回の『sheep sleep sharp』はそうじゃなくて、藤田君が考えた話を皆でやるっていうスタンスになってるんです。その意味では、役者の役割っていうのは素材みたいなものなのかなっていう。それは小道具とかとも同等で、藤田君が創作するための素材ですかね、きっと。昨日の稽古でも、藤田君が「ちょっと台本書きたいから、皆でゲームしてて」って言われてゲームををやってたんです。皆がゲームをしている声を聴きながらだと台本を書くのがはかどるらしいんですけど、そういう存在なのかなっていう。

 

――印象的だったのは、今回、稽古初日に皆でヨガをやってましたよね。ただ単に「役者の皆でヨガをやる」ってだけなら別の空間でやればいいわけですけど、稽古場で藤田君が台本を考えている場所でヨガをやって、そこで今回の作品で流したいと思っている曲をかけたりしてましたよね。あれもきっと、自分が使いたい音楽っていう素材と、今回出演する役者っていう素材を同じ空間に並べてみることで、そこから見えてくるものを考えようとしてるんだろうなと。でも、役者に求められるものっていうことで言うと、2015年12月の『書を捨てよ町へ出よう』のときから格段にハードルが上がったように見えたんですね。それは別に、イントレを組み立てたりするからっていうことではなくて、寺山修司っていう人のことをどう思っているのか、その台詞を言うってことはどういうことかわかってるのかっていうことでダメ出しをされてることが多かったと思うんです。

 

尾野島 それまでとはだいぶ違うことを要求されるから、全然わかんなくて。自分がそれまでやってきたことを色々試してみたんですけど、マルかバツでバツだってことだけ言われてて。

 

――あのときも、たとえば皆で映画の『書を捨てよ町へ出よう』を観たり、穂村弘さんから寺山について教えてもらう時間があったりはしましたけど、寺山修司をどう考えるのかってことを皆で話し合ったりするわけじゃなくて、それは当然各々が考えてくれってスタンスでしたよね。それはたぶん、昔から一緒にやってきてるからこそ、「今これをやるってことはどういうことか、皆も普通に考えていて欲しい」ってことなのかなと傍目に見てて思ったんですけど、それを役者同士で話し合ったりってこともなかったんですか?

 

尾野島 役者同士でそういう話をするってことはなかったですね。段取りの確認を話すことはありますけど、作品に関するそういう話はしてないです。それを役者同士でやると変な感じになりそうだし、その話をするなら藤田君にしないと駄目だと思うというか。『書捨て』のときは、藤田君の言葉じゃない作品をやるっていうことで、事前に調べたり準備はしてたんですけど。

『書を捨てよ町へ出よう』(2015年)撮影:井上佐由紀

――尾野島さんは『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』にも出演してますけど、今年あの作品で要求されていたこともまた、去年までとは違うレベルのことだったなと思うんですよね。「何を思ってその台詞を言ってるのか」っていうダメ出しも多かったですよね。「そのことについては当然皆も考えてるはずだよね?」っていう。

 

尾野島 そうですね。今年は委ねられる部分が大きかった気がします。こうなって欲しいというイメージは藤田君の中にあるんだけど、「考えていることは各々違うから、そこで出てくる感情を否定はしない」っていうことは稽古を返すごとに言われてたんですよね。本番が終わったあとにも「僕の思ってるものとは違うけど、『でも、それって何だろう?』ってことは考える」っていうことを言われたときがあって。良し悪しっていうよりは、そのときに出てきた感情のことは自分にはわからないけど、そこに興味があるってことを言われたんです。役者には自分の思った通りにやって欲しいんだけど、各々が考えた結果として自分が想像してなかったところに到達したのであれば否定はしない、と。そこが今回は違ったし、だからこそ考える時間が多かったです。

 

――藤田さんの作品で尾野島さんが担っている役割って、大きく分けると二つの系譜があるのかなと思うんです。ひとつは『てんとてん』でもそういう役割でしたけど、記憶にとらわれて振り返り続けているキャラクターがありますよね。記憶ってテーマは藤田さんの作品において重要なモチーフの一つですけど、藤田さんが書くテキストに変化を感じるところはありますか?

 

尾野島 その質問に答えられてるかわかんないですけど、『カタチノチガウ』を観たときに戸惑ったんですよね。童話を観ているみたいな感じがして、フィクションである部分が強かったですよね。それは去年の夜三作で過去の作品を振り返ったときにも思ったことなんですけど、どんどん藤田君が思い描くオリジナルの物語をつくり始めたなっていう感じがしてきてるというか。まだうまく言葉にできないですけど、前はいろんなことに疑いを持ちながら書いてたと思うんです。「何で役者が役者としてしゃべっちゃダメなのか」、「演じるっていうことは何なのか」っていうことを執拗にやってた時期があったと思うんですけど、その時期を経て、今は「最初からフィクションを立ち上げていく」っていうことに立ち返っている時期なのかなっていう気がするんです。

 

――たしかに、そういう意味でも『カタチノチガウ』は異質でしたね。冒頭からフィクションとして始まるという。

 

尾野島 役の一つ一つも、その人が演じるからそういうキャラクターになっている部分がなくなったとは思わないですけど、もうちょっと藤田君が想像するキャラクターから始まってる気がしたんですよね。『カタチノチガウ』もそうですし、『ロミオとジュリエット』もそうだったんですけど。結構昔に「いずれはリフレインとか何もない作品をやりたい」って話してたんですよね。記憶によると。だから今、そういう方向に少しずつシフトしてんのかなって思ったりしますね。

『cocoon』(2015年)

――尾野島さんが演じるキャラクターのもう一つの系譜には、官能教育シリーズの『犬』あたりから始まった、ある種の邪悪さというのか、誰かに危害を加えるという役割もありますよね。それはもちろん、『cocoon』の中に登場する脳症患者がサンを襲うシーンに至るために始まったものではあると思うんですけど、初演と再演の『cocoon』を経て、その邪悪さみたいなモチーフだけがごろんと残った気がするんです。それはある特定の時代や状況においてだけあらわれるものではなくて、ありとあらゆる時代や場所に存在しているんじゃないか――そういう感触は『ロミジュリ』にも繋がってるんじゃないかと思うんです。『ロミジュリ』でも、吉田聡子さんの語る台詞に「隣の誰かが何を思っているかすらわからない、そんな街角」というのがあって、これは藤田さんが書き加えた台詞だったわけですけど、この台詞に尽きるところもありますよね。

 

尾野島 『cocoon』の初演のときによく言われたのは、「正当化するな」ってことで。「コイツはコイツで色々あったんだから、そういうことをやってしまうのは仕方ない」というふうに逃げ道を作っちゃダメだ、と。「やってる行為自体は最低な行為なんだから、それをそのままやれ」ってことを言われてたんです。そういう感じは『ロミジュリ』のときもありましたね。やってる行為は卑劣な行為だってことを観客につきつけないとダメだと思ったし、藤田君がそういうことを扱うキャラクターにしたいのであれば、そこを徹底してやらないと絶対違うな、と。

――すごく難しいなと思うのは、そういう邪悪さなんて自分達の中には微塵もありませんって言ってしまうと描けなくなるものがあると思うんですよね。そういう邪悪さはどこにだって存在するという前提の上に立つからこそ「それはナシだよね」って判断を下せる気がするんです。『sheep sleep sharp』でも、そういう邪悪さは存在するという前提の上で、何を選択するのかってことが描かれるんじゃないかって気がするんですよね。

 

尾野島 そうですね。作り方自体もいつもと違うから、どうなっていくんだろうなと思ってます。最近、役者って何だろうってことをすごい考えるんですよ。それは『書捨て』ぐらいからなんですけど、今まで当たり前にやってたことって何だったんだろうっていう、変な戸惑いというか。やってること自体は暗記した台詞を言うってだけなのに、そこに良いと悪いが明確にあって――それって何だろうなってことを改めて考えるんです。これでも、昔は「もう辞めようか」と思ってた時期もありますけど、最近は楽しくなってきたんですよ。

 

――楽しくなってきた?

 

尾野島 それまでは「芝居って超楽しい!」みたいなことを言ってる人を見たらムカついてたんです。こっちはボクシングのシーンで殴られたり、演出家に罵倒されながらやってるのに、楽しんでんじゃねえよっていう卑屈な気持ちがあったんです。でも、今はとにかく「藤田君の考えてることが面白いな」ってふうに思っていて、新作も10周年ツアーも、そういう意味ではすごく楽しみですね。

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